7月1日

人は感情で生きている。

理性的になるのは、感情の後だ。
感情を抑えるために理性が働く。

感情を大きく揺さぶられる時、或いは負の方向へ感情を揺さぶられそうな時、人は自己防衛に走る。

例えば、暴力だとか。暴言だとか。

理性的に生きることよりも、感情的に生きることの方が本能的で人間的なのだと思う。
ただ、理性の働かない人間は"子どもだ"と揶揄される。大人になるにつれ我慢を憶え、感情を抑える術を得る。
そうやって生きていくことが、多くの人間にとって生きやすい道であるからなのだろう。

私は自己中心的な人間がイヤだ。
自分も含め、人間はどこか自己中心的ではあるものだとは思っているが、簡単に怒る人間や陰口を言う人間など他人を巻き込む自己中が嫌いだ。
しかし、陰口というのも一つの人付き合いであり普通のことでもある。それを苦手だとするならば自分の方に問題があるのだと言うこともわかる。
イヤだと公言するのもまた自己中。
せめて何となく話を合わせられるくらいには自分の信念やプライドを曲げられたら良かったんだけど。
イヤなものはイヤなので仕方ない。


私の母は父の悪口をこれでもかというほど父本人に、そして私に伝えてきた。
人のせいにしなければどうしようも無いほどに感情が揺さぶられたのだろう。
私は母も同罪だというようなことを返信し、怒られ、縁を切られかけた。

母はしばらくするとまた私に連絡をとるようになった。
恐らく恋人に諭されたのだろう。
ごめんなさいとありがとうと服とご飯を送ってくれた。ので許した。

でも父は母を許さなかった。
母が父を憎いように、父も母が憎くて、父はただ母よりも理性的に、何も言わずに憎んでいただけだった。
お金の話をした後に2人は絶縁した。

私は一連のゴタゴタがやっと片付き、疲れからか風邪を引いた。
咳はまだ収まらない。

弟が死んだ時、私は生きなきゃと思った。
お姉ちゃんは頑張らないとといろんな人に言われ、生のプレッシャーを感じた。

でも今はそういうのもどうでも良くなった。
ただ生がめんどくさいと思うことが増えた。
身体を動かすことが嫌になった。

文字を書いてこの無理を昇華すること以外、どうしたら良いのかよくわからない。

生はしょうもない。
生きれば生きるほどに感じていく。

本当は、生は素晴らしいと思いながら生きていきたかった。
私には、何が足りなかったのだろうか。

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