10月16日

思い返せば、人に迷惑をかけてばかりの人生だったように思う。

そしてそれは恐らく正しい。

人間は産まれながらにして未熟な存在であり、成熟するのに時間がかかる生物であるので、まだ20年しか生きていない私が人に迷惑をかけてばかりだったのも当然だ。

これから先の人生(もう少し先の話かもしれないが)、迷惑をかけられる側として生きていくのであろうし、その為にも私はこれからも生きてゆかねばならない。
自分が人に迷惑をかけてばかりだと思うならば余計に。

後悔することも多い。
自ら絶った縁は、もう一生元に戻ることは無いのかもしれない。

また元に戻れたらというのが自らのエゴであるのはわかってはいるが、それを願わずにもいられない。


今日、iPhoneのアルバムを整理した。
もう縁が切れてしまった人達の写真を消せずにいる。

どうしようもない気持ちになる。
悪いのは100%自分。

引越しや転校が多かったので、友人はいても今も仲良くしてくれる友人はほとんどいない。
そんなものだと言ってしまえばそれまでであるけれど、離れてもなお仲良くしてくれていた友人を断ち切ったのは自分だ。

中学の頃の友人達と、仲良く出来なくなった。
当時の自分は何をどう考えていたのだろうか。
全部を失った方が楽だと思ったのだろうか。
自分を知る人が少なければ少ないほど死にやすいと思ったのだろうか。

過去の自分の選択に首を絞められる。

母親のよく言っていた「友達は財産」の教えを何も活かせはしなかった。

自分は死ねなくなってしまった。
弟もいなくなった。

寂しい。

どうやって生きたら良いのかわからない。



弟が死んで1週間の内、一番泣かなかったのは私ではないかと思う。

それは死を受け止めきれなかったからなのか。
周りの人間が泣いていたからなのか。
人前であったからなのか。
よく分からないけれど。

悲しそうじゃないと言われた時、実際に一番強い感情は悲しいじゃなかったように思う。
それは単に自分に言い聞かせていただけなのかもしれないけれど。

私が鬱になったのは、家族の前で悲しい気持ちを出せないからなのかもしれないと思う。

自分は友人といる時はいつも普通に元気で、もちろん家族の前でもそうで、まぁ普通人はそうなのだろうとは思うけれど、私はその気持ちが強いのだと思う。

カウンセラーさんの前でさえそうで。
3回目を過ぎると会う時には元気になっている。
一人になると死にたくなるのに、それさえも無かったかのように、会う約束の日が近づくにつれて元気になる。

でもそれも多分、そうあるべきという考えからの自己暗示のようなものなんだろうと思う。

弟の葬式で泣けなかったのも、みんなより大丈夫だったのも、そういうことなんだろうと思う。

弟の死の知らせを聞いた直後は号泣していたのに、バイト先に泣きながら連絡を入れた後からは大丈夫だった。
その後友人からの電話で弟の死を話す頃には、もう大丈夫になっていた。

でも全然大丈夫じゃない。
一人になるといつも考える。
弟のこと。死ぬこと。
私のせいで弟は死んだんだと思う。

弟が死んでしまってから、生に一層希望が持てなくなった。
一人になるといつもこうなのだ。

友人といる時は嘘みたいに楽しいのに。
それも嘘ではなくて、必要以上に負の感情を抑えて見ないふりをしているのだと思う。

弟は毎日のように夢に出てくる。
何度謝っても、私の気は収まらない。

どうやって生きていけば良いのだろう。