4月2日

「いただきますは宗教じゃん。なんか気持ち悪い」
と言った女の人が叩かれているのを思い出した。発言内容はうろ覚えだけど。

「日本人の文化でしょ」
「日本人なのにいただきますを言わないって何」
「挙句気持ち悪い??」

みたいな感じだったと思う。

まぁ後者の言うこともわかる。
文化って大事だ。昔の日本人が思いついたことが今もなお習慣として残っているのってすごいことだし。

自分は日本が好きだけれど、日本人であることに誇りを持ってとかあの辺の感覚はよく分からない。
女(男)に生まれて良かった〜とわざとらしく言う人みたいな感覚を覚える。

自分の人生こそが最高で最良だったみたいな、後悔をしないための自己正当化?自己最高化?のように聞こえてしまうのだ。
自分の性格がひん曲がってるだけなんだろうけど。
たまたま生まれたのがどっちかの性別で、たまたま生まれた場所が日本で。
自分に関することが好きになるのは生きやすくするのに大事なことだと思うし。
「フランスに生まれたかった〜」と後悔しても仕方ない。
「日本が嫌い」なんてわざわざ生きにくくする人なんか見ないし、恐らくドMだ。

とはいえ、日本に誇りを持つというのはやはりよく分からない。
行き過ぎている気がしてしまうんだよな。
それこそ「なんか気持ち悪い」みたいな。

いただきますが宗教的というのは自分も思う。

もちろん普通に「いただきます」と「ごちそうさまでした」は言う。
多分対象はご飯を作ってくれた人だとか。お金を出してくれる人だとか。そこにある命にだとか。
でも正直大抵が習慣としてやっていることで、常に本来の意味を意識しながらやっているわけではない。

「いただきまーす」(お腹空いた〜!めっちゃいい匂いする!はよ食べよ!!)

くらいしか考えていない。

空腹時に目の前に美味しいご飯が置かれた人間の思考レベルなんてそんなものではないだろうか。

「いただきます」が宗教的だと思う理由はここにある。

いただきますって何のためにやってるの?と聞かれれば、命のためにだとか調理する人に感謝してだとか答えられる人は多いだろう。

ただしいつも意識しながらやっている人はそこまで多くないのではないかと思う。

いやそもそも、感謝というのは強要されてすることではなくて。ありがてぇ!って思った時にするものではないのか。

食材に対する感謝の気持ちを忘れないためにだとか言ってしまえば形は良いが、三大欲求を満たそうとする動物の前ではそんなの二の次で結局忘れてしまいがちなのではないか。

もちろんいただきますが悪いものだとは全く思わない。

ただ、「いただきますをしないのは教養がない」だとか言うのは少し違う気がする。

している人を褒めることはあっても、しない人を貶すというのはおかしくないだろうか。

食前に八百万の神に感謝し、手を合わせ、みんなで一緒に唱える「いただきます」は宗教的であると思う。

「いただきますは宗教的でキモイ」と言った女の人も、わざわざ言う必要があったかは置いておいて、そんなに間違ったことは言っていないと思うのだ。

それに対して「日本人だからいただきますしろ!」と言うのはなんだかもっと宗教的ではなかろうか。
「日本は無宗教だ!」ではない。

無宗教を名乗るのならば、もっとみんな自由で良いのではないだろうか。

言いたくないなら言わなきゃいい。
言いたい人が言えばいい。

人間、能動的に動くべきで。やりたいことをやるべきで。
言われたことをただするのは考えることを放棄しているだけである。

日本人だから〇〇すべき。という押し付けはもはや宗教だ。