三題噺03 階段、星、旅人

静かな平原の中に、背の高い家が建っていた。
それは、サバンナに1人で佇むキリンのような。木の代わりに雲を食べようと必死に首を伸ばしているようだった。
僕はお腹が減っていた。もうリュックの中には何も食べられるものはない。何も無いこの平原で、食べられそうなものを探していたら細長い家を見つけたのだ。
ドアを叩いた。ドドドドドン。メ シ を く れ。
ドアの向こうから階段を降りてくる足音と声が聞こえた。
「はーい、どちら様ですかー?」
開いたドアの先には、小さな男の子がいた。
綺麗な刺繍の入ったワンピースのようなものに、上からベストを羽織っていた。どこかの民族衣装のようだ。キラキラしていて自分とは別世界の住人のように見える。
「すごくお腹が減っているんだ。何か食べさせてくれないか」
「わ、わ、本当だ。顔も真っ白。ボロボロのほそほそでボソボソじゃあないですか!早く入ってください。どうぞどうぞ」
入ると中は丸い大きな部屋と、壁に沿って上に登る階段があった。
「座ってください、今食べ物と飲み物を用意しますので」
「あぁ、ありがとう」
部屋の中央にあるソファはふかふかとしていた。疲れが吸い込まれていくような心地がする。
「旅人さんなんですか?」
声変わり前の綺麗な声が部屋に響く。
「そんなところだよ。ここに来る前にはイチョウが綺麗な街にいた。銀杏が特産でね、3人に1人はちょっと口がくさいんだ」
「ふふ、面白いですね」
部屋の隅の台所の方から、カチャカチャと優しい金属音が聞こえる。
「その前は雪が頭の先まで積もる街だ。除雪機が発達していてね。メイド型だとか、氷に変えてくれる機械だとか、超大型除雪車だとか。でもメインは1日1回街中に吹かれる特殊塩水で、一気に解かしてくれるんだ。最初は知らないから思いっきり浴びちゃって頭が痒くなっちゃったんだ」
「毎日海水浴気分ですね」
オーブントースターがジジジジと焦らす音がする。
「にしても、ここまで何にもない場所は久しぶりだよ。砂丘でさえもっと観光客がいたのに」
「何にもないこともないですよ。風は気持ちいいし、夜は星がすごく綺麗なんです。でも、たしかに人は全然来ないのであなたと会えて私は幸せです」
チンッと音がして、いい匂いが部屋に広がる。
「お待たせしました」
テーブルの上に焼き目のついた白い大きなパンと、天井の光を跳ね返しキラキラと光るスープと、見たことのない透明色のジャム、コップに入ったお茶が置かれた。
「いただきます」
手を合わせて一礼をした後パンにジャムを塗り口に入るだけ詰め込む。久しぶりのご飯は暖かくて甘くて信じられないほど美味しかった。
「本当にお腹がすいていたんですね」
にこにこと嬉しそうにこちらを眺める男の子に見守られながら、あっという間にご飯を食べ尽くした。
「ごちそうさまでした。すごく美味しかったよ、ありがとう」
「いえいえ。お疲れのようですし、今日はここに泊まっていってください」
「ありがとう、助かるよ」
この家に男の子の両親がいないことは、彼の言動でなんとなく感じていたことだった。
「寝室は上です。少し階段が長いですが、ついてきてください」
男の子の後に続き上にのびる螺旋階段を上っていく。段差は低く、思ったほど疲れない。
「上の部屋からは外が見えるので、晴れていれば星がとても綺麗に見えますよ」
「それはすごいね、この家は星を近くから見るためにこんなに背が高いの?」
「それも大きいと思います」
"それも"?と聞こうとして、口を閉じた。階段は終わり、部屋に着いたのだ。ガラス張りの部屋の外からは星が綺麗にまたたいていた。
「すごいな、これは……」
「そうでしょう。このベッドで星を眺めながら今日はゆっくり休んでください」
そういうと男の子は階段をとんとんと降りていった。
吸い込まれそうな星空と暖かなベッドのぬくもりに包まれていると、睡魔に襲われるのは一瞬のことだった。


穏やかな太陽の光で目が覚めた。
ここはどこかと辺りを見回し、だんだんと思い出してきた。そうか、今日は泊めてもらっていたんだった。
寝起きのぼんやりした頭で、柔らかなベッドでぼーっと空を眺める。気持ちいいなぁ。ここは何もないところじゃなかった。
ふぅと息を吐き体を起こす。ドアを開け階段を下りるといい匂いがしてきた。
「おはようございます、そろそろ起きてくる頃かと思いました」
男の子は下からこちらを見上げにこりと笑った。
「おはよう。朝ごはんまで作ってもらって、なんだか悪いね」
「いえいえ、人にもてなせることなんてなかなかないので」
朝食はスクランブルエッグとウインナー、パンだった。どれも自分の知っているものとは少し違うような気がしたが、味は絶品であった。
「ここから東に向かって歩くのが、他の町への最短ルートです」
「ありがとう、本当にお世話になったよ。ここもいいところだね。すごく」
「ふふ、そうでしょう」
自慢気にはにかむ顔は、男の子らしい幼さを感じさせた。
「君の名前を教えてもらっても?」
「ステラって言います。お兄さんは?」
「僕は__」
「いい名前ですね。貴方の旅路が幸福なものでありますように」
別れはあっさりとしたものだった。
細長い家に背中を向けて、太陽の昇ってきた方角へ歩いていく。
しばらくしてふと振り返ると、まだ家は遠くに、しかしはっきりと見えた。私はここにいますよと手を振るように。

三題噺02 お茶・カニ・夢

「やぁ、よく来たね」
「今日はどうしたんですか先生」
「そう焦るな。まぁそこに座ってお茶でも飲みなよ」
「別に私は暇人じゃあないんですよ」
「そうかそうか、ところで君、昨晩夢は見たかい?」
「はい、見ましたけど」
「じゃあ夢の内容を詳細に覚えているか?」
「いえ、あまり覚えていないですけど。そんなものじゃないですか?先生は私と夢の話をするためにここに呼んだんですか?」
「夢の話をしに呼んだんだ。君はどうして夢が常に断片的な記憶でしかないのか疑問に思ったことは?」
「不思議ではありますね。先生にその謎がわかったとでも?」
「そうだ。私は実験を行った」
「はぁ」
「君は聞いたことがあるか?人は死んだら4g軽くなるという話を」
「あの魂が抜け出すとかなんとかいう都市伝説ですか?」
「あれは都市伝説ではないのだよ」
「……はぁ」
「私は1度実験を行った。寝る前の正確な体重を測り、測りに乗ったまま身体を固定し睡眠を取る。その際の体重に変化があるのかを装置で調べた」
「それで?まさか4g減っていたとか言うんですか」
「そのまさかだ。君は話が早くて助かる」
「先生が回りくどいんですよ」
「じゃあひとまずそのお茶を飲んではくれないか?」
「絶対に嫌です。先生が自らお茶を出すなんて嫌な予感がしていたんです。先に全ての説明をしてください。4g軽くなっているのが本当だとして、夢の記憶がなぜ曖昧なんですか」
「ふむ。そうだな。一言で言えば魂が抜け出ているからだ」
「睡眠時が仮死状態ってことですか?」
「そうじゃない。そうだな、魂という言い方は適正ではないかもしれない。本体と言えば良いだろうか。記憶だとか、感情だとか、人間の中にある形のないもの全てだ。」
「睡眠時には本体が身体から出ていると?」
「そうだ。そうすれば肉体はうまく休めるからな。そうして抜け出した本体はどうなると思う?」
「……それが夢ですか」
「そうだ。夢は確かに実在する。」
「いやいや、でも夢なんて現実じゃありえないことのオンパレードですよ。実在するなんてどうして言えるんです」
「じゃあ君はこの世界に、起きている間起こっていることだけが有り得るとでも?夢は実在するわけがないと?」
「そりゃそうですけど……まぁいいです続けてください」
「そもそも、その本体こそが人間の本質である。脳だとか肉体だとかはそれを縛り付けているものなのだよ」
「……なるほど?」
「世界は何も選択しない。本来であれば本体も何も選択しないのだ。しかしなぜだか生命が生まれた。そうしてその不自由な個体の中に本体が組み込まれた。そうすることで、我々人間が出来た」
「ファンタジー作品でも読んだんですか?」
「まぁ聞け。ここからが夢を覚えていない説明だ。何も選択しない本体はそのままであればそこに在るだけであった。しかし、人間のようなシステムに組み込まれ、目や脳を通して世界を見、理解するようになった」
「……」
「本来ならば本体は更に自由度の高い存在であった。しかし、肉体により世界を見ることを覚えた。そんな本体が身体の外に出て一時的に自由を取り戻すとどうなる?」
「与えられた記憶の中から好きなように世界を作り出したりすると?」
「流石だ。しかしもちろん本体が作り出す世界は我々の脳には理解不能なこともある。本体が帰ってきた際、無理に理解しようと脳が翻訳をするから夢は矛盾だらけであったり記憶が曖昧であったりするのだ。起きた時は覚えていてもすぐに忘れてしまうのも、脳が処理しきれない不要な矛盾を捨ててしまうからだ」
「面白いですけど、それ本体の存在必要ですか?4gも寝てる間の涎とかじゃないですか」
「本体の有無は全然違う。全然だ。いいか、これが本当であればそれはもうすごいことなんだ」
「どうやって証明を?」
「君に手伝ってもらおうかと」
「……このお茶は」
「頼むよ〜」
「何する気ですか」
「まず君を測りに固定して寝てもらう。体重が軽くなったのを記録した後に君を起こす。体重が戻っていれば成功だ」
「4gの確認が出来たらすごいですけど、本体云々はほとんど先生の妄想ですよね?」
「ちょっと寝て起きるだけだから!ね!お願い!」
「仕方ないですね……」
わはーありがと!」
「……飲みましたけど、これここで横になってればいいんですか?」
「うん。そこでいいよ。……よし、君意外と軽いね」
「……うるさいですね」
「お昼ご飯でも食べて待ってるからゆっくり君は寝ててよ」
「え、うわ、なんですかそれ」
「活きがいいでしょ〜君が来る直前に貰ったんだよこのカニ」
「あぁもう、……起きたら…それ、私にも……」
「お?寝たかな。体重は……まだ変化なしか」
「んー、このカニ美味しい。流石近藤教授だ」
「……お?お!おぉ!!減った!!丁度4g!!あぁ、本当だ!正しかったんだ!!」
「君!!起きてくれ!!実験は成功したかもしれない!!」
「……」
「起きたか!!体重は……も、戻っている……!成功だ!!成功した!!」
「……」
「どうした?君?……あ、あれ!?うわ!カニが急に活気を!!おい!やめろ!うわ!!」
「……」
「き、君!!見てくれ!!カニが……」
「……ど、どうしたんだ?なんで無言でジタバタしているんだ?」
「……は、はは、嘘だろ、変な冗談はよせよ」
「……おい……あ、う、嫌だ……嘘だ、嘘だぁぁぁ!!!!」
「……先生」
「……!!カニが!!カニが喋った!!!」
「どう見ても人間でしょう先生。冗談ですってば」
「へ?あ、あれ?カニは?」
「さっき食べたでしょう。もうとっくに死んでますよ」
「あ、あぁ、なんだ。びっくりした。カニと君の本体が入れ替わっちゃったのかと」
「変な研究に付き合わされたから意趣返しにと、ちょっとした冗談ですよ」
「だ、だよね、びっくりした〜驚かせないでくれよ」
「でもそういえば、実験は成功したんですよね?」
「おぉ!そうだ!そうなのだよ!本体の話はもっと調査が必要だが、4gの増減は確かに見られた。これはすごい発見だぞ!ありがとう本当に」
「感謝の証にそのカニ私にも食べさせてくださいよ」
「あぁ、こいつか。もう私はいらないから君に全部あげよう。あの動きはトラウマものだよ全く」
「死にきれてなかったんでしょうね」
「まぁいい、私はこのデータを持って教授の先生に自慢してくるよ」
「あ、先生。そういえば、本体が別の体に入ってしまった場合ってその体に適応したりするんですかね?」
「……えっ?」
「……冗談ですよ。全く、先生は本当に単純なんですね」
「大人をからかうんじゃないぞ」
「私こそ、もう変な実験には付き合いませんからね」

4月11日

VRカノジョの動画を見ました。あれめちゃめちゃ欲しい。
そのうちVRで5感が味わえるようになりその中で暮らせるようになりそうですね。
理論上可能でも世に出すと私が社会的に死を迎えそうなのでやめてほしい(頑張ってほしい)。

実際、現実の辛さがあるからこそVRのような架空の理想的擬似現実が楽しそうに見えるんだろうし、VRの中だけで生きるのはつまらないと思うのですが。
でもまぁ現実が無理になると死の前にVRの中に逃げたりはしそうですね。自分のような甘えたがりには逃げ場は無いくらいで丁度いいんだと思います。

拗れることのない関係、良いなぁ。
VRカノジョ、欲しいなぁ。

だって自分のことを絶対好きになってくれる女の子ですよ。何しても嫌いにならない。いや、なるのかもしれないけれど、初めからやり直せばまた好きになってくれる。
最強に都合がいい……。

女の子を都合のいいように扱うことが悪いとされているのはもちろん現実においての話であって。相手が人間だからであって。ゲーム内のカノジョなら都合のいいように扱い放題である。
本音を言うなら都合のいい相手を都合良く扱いたいなんてのはごく当然の話だよな。だって「都合いい」んだもんな。

ゲームの中が快適になりすぎると現実世界に戻れなくなるのか、はたまたゲームの中も快適すぎてつまらなくなるのか、或いはゲームの中にも適度な不自由が組み込まれそっちが本物の現実になるのか。
VRもまさかこんなに早くから家庭に入ってくるとは思わなかったし、ゲーム業界の行く末はもう自分には全然わからない。

どんどん予想を裏切って楽しいを量産してほしい。
ついでに言えば社会に出たくないので頑張ってもう少し楽しい社会にしてほしい。
頑張ってくれゲーム業界。

4月6日

学校へ行き用事を済ませる。
友人と駄弁りながら買い物へ行く。

「なーんか、春休み何にもしたくなくてねぇ」

僕も同じこと考えてた!
頭の中のクソ男が疼く。名前は……思い出せないなぁ。

家に帰ると高校の頃の友人から電話がかかってきた。

「いやー、なんか何もする気起きなくてね」

なんだ、みんな同じなのかよ。

「新しい生活への慣れじゃない?倦怠期なんでしょ」
「わかるけど1人で倦怠期って虚しいなぁw」
「恋人との倦怠期だって味わいたいもんじゃないでしょ」

あぁ、倦怠期で思い出した。と。
昔の知人達が大学生になって変わってしまったのだと。

内容はまぁ自分の周りでは聞いたことのないような大学生大学生したそれだった。あんまりにも周りで聞かないので実は一部のウェイ系だけなのかと思ったけれど、実情そんなことはなかったらしい。
自分の話も少しはしたが、自分が浮気をしていないということを信じてもらうのに1時間かかった。全く盛っていない。
友人の中ではもう「大学生はそういうものだ」と植え付けられてしまうほどに周りでは開放的な性が日常茶飯事なのだそうで。渋い現実。

大学生の頃は恋愛での失敗も許されるような風潮がある。(それを恋愛と呼んでいいのかは甚だ疑問ではあるけれど)
人間の本能として、性欲は三大欲求であるわけで。許されてしまえば性に奔放になる気持ちもわからなくはない。
高校生までは学校に1人2人ヤンキーくさいのがいても、大学生か社会人になれば姿を消してしまうのと似ている。
ただし大人になっても浮つきっぱなしの人間はこっそりゆらゆらしている。薄汚いブイみたいに。

何が違うかと言えば、前者は会社に入る時に社会からの弾圧を受けるわけだけれど、後者は隠し通せば痛い目を見ることも少ない。

人間、痛みを感じなければ善し悪しもわからないのかもしれない。
人類、誰も傷つかない性欲の処理をしてほしい。

最近よく考える"人は誰しも自分のことしか考えられない"というのは漫画フラジャイルに出てきたものだ。
自分本位で当たり前。他人と上手いところで折り合いを付けて生きていくべし。

誰も傷つかない(傷つけない)というのも結局自分の視点からの話でしかない。
多分、出来ることは「されて嫌なことは人にしない」くらいなんだと思う。

でも驚くほどに人の立場に立ってものを考えるのは難しい。
「もし自分がされたら」も適当に考えると自己正当化フィルタがかかって「そんなに嫌じゃないよな」と思ってしまいがちだ。
難しい。難しいよな。

されて嫌なことは人にしない。
されて嫌なことは人にしない。
自分は自分のことしか考えられない。

常に頭に置けば何か変わるかもしれない。

ところで。久々に話した友達が同じゲームをしていたので一緒に遊んだ。懐かしくて楽しかった。

やっぱり、どんどん変わっていく中でも変わらない方がいいこともたくさんあるんだろうな。

4月2日

「いただきますは宗教じゃん。なんか気持ち悪い」
と言った女の人が叩かれているのを思い出した。発言内容はうろ覚えだけど。

「日本人の文化でしょ」
「日本人なのにいただきますを言わないって何」
「挙句気持ち悪い??」

みたいな感じだったと思う。

まぁ後者の言うこともわかる。
文化って大事だ。昔の日本人が思いついたことが今もなお習慣として残っているのってすごいことだし。

自分は日本が好きだけれど、日本人であることに誇りを持ってとかあの辺の感覚はよく分からない。
女(男)に生まれて良かった〜とわざとらしく言う人みたいな感覚を覚える。

自分の人生こそが最高で最良だったみたいな、後悔をしないための自己正当化?自己最高化?のように聞こえてしまうのだ。
自分の性格がひん曲がってるだけなんだろうけど。
たまたま生まれたのがどっちかの性別で、たまたま生まれた場所が日本で。
自分に関することが好きになるのは生きやすくするのに大事なことだと思うし。
「フランスに生まれたかった〜」と後悔しても仕方ない。
「日本が嫌い」なんてわざわざ生きにくくする人なんか見ないし、恐らくドMだ。

とはいえ、日本に誇りを持つというのはやはりよく分からない。
行き過ぎている気がしてしまうんだよな。
それこそ「なんか気持ち悪い」みたいな。

いただきますが宗教的というのは自分も思う。

もちろん普通に「いただきます」と「ごちそうさまでした」は言う。
多分対象はご飯を作ってくれた人だとか。お金を出してくれる人だとか。そこにある命にだとか。
でも正直大抵が習慣としてやっていることで、常に本来の意味を意識しながらやっているわけではない。

「いただきまーす」(お腹空いた〜!めっちゃいい匂いする!はよ食べよ!!)

くらいしか考えていない。

空腹時に目の前に美味しいご飯が置かれた人間の思考レベルなんてそんなものではないだろうか。

「いただきます」が宗教的だと思う理由はここにある。

いただきますって何のためにやってるの?と聞かれれば、命のためにだとか調理する人に感謝してだとか答えられる人は多いだろう。

ただしいつも意識しながらやっている人はそこまで多くないのではないかと思う。

いやそもそも、感謝というのは強要されてすることではなくて。ありがてぇ!って思った時にするものではないのか。

食材に対する感謝の気持ちを忘れないためにだとか言ってしまえば形は良いが、三大欲求を満たそうとする動物の前ではそんなの二の次で結局忘れてしまいがちなのではないか。

もちろんいただきますが悪いものだとは全く思わない。

ただ、「いただきますをしないのは教養がない」だとか言うのは少し違う気がする。

している人を褒めることはあっても、しない人を貶すというのはおかしくないだろうか。

食前に八百万の神に感謝し、手を合わせ、みんなで一緒に唱える「いただきます」は宗教的であると思う。

「いただきますは宗教的でキモイ」と言った女の人も、わざわざ言う必要があったかは置いておいて、そんなに間違ったことは言っていないと思うのだ。

それに対して「日本人だからいただきますしろ!」と言うのはなんだかもっと宗教的ではなかろうか。
「日本は無宗教だ!」ではない。

無宗教を名乗るのならば、もっとみんな自由で良いのではないだろうか。

言いたくないなら言わなきゃいい。
言いたい人が言えばいい。

人間、能動的に動くべきで。やりたいことをやるべきで。
言われたことをただするのは考えることを放棄しているだけである。

日本人だから〇〇すべき。という押し付けはもはや宗教だ。

三題噺01

ティッシュとスリッパと充電器

「よくも!まちのみんなを殺したな!ゆるさないぞ!かいじん28号!」

覚えたての拙い日本語が暗い夜空にキラキラと走り出していく。
開いた窓から入ってくる空気は冷たい。

手を止めて声の方へ目をやると、太一先生とリュウト君が向かい合って戦闘態勢に入っていた。
リュウト君は両足に空になったティッシュの箱を履き、おもちゃの剣を構えている。
子どもはおもちゃをよく見つけてくるものだ。
あの箱を履きたくなる気持ちはわかるが、どう見ても動きにくそうだが。

対する男は履いていたスリッパを両手に持ち、一昔前のカンフー映画の主役のように腕をぐるぐる回している。

「ハッ、貴様のようなチビに、なぁにが出来ると言うのだ」

ドスを効かせた悪者声で笑う180cmの男は、ヒーローになりたい100cmの男の子よりもガキんちょにしか見えない。

背が高いのは大抵プラスステータスになるはずのものだが、お世辞にもカッコイイと言える顔をしていない彼にその身長は不釣り合いだった。
真顔は怖く、入ったばかりの園児にはちょくちょく泣かれている。
しかし彼は園児に対しては本気で、大人から見れば痛々しく感じるくらいのバカになるので、打ち解けるのも一番早い。
しかしこの園児と真っ先に仲良くなるバカで不細工ででっかい男は、大人がどうにも苦手なようで園の先生達と打ち解けているところは見たことがない。
嗚呼面倒くさし、大人の人間関係。

「あーー!りゅーとだけズルい!!」

彼らの壮絶な戦いも山場に差し掛かったと思われる頃、ご飯を食べ終えた男の子達が楽しそうな声を聞きつけて集まってきた。

「フンッ、お前らのようなチビ共がいくら集まっても俺様に適うわけがない。まとめてかかってこい!!」

悪役に徹するあまり、吐く言葉は親達に聞かれたらクレームものである。
というか実際に何度か親からのクレームが来たこともある。大人に嫌われるのは宿命であるようだ。

はぁ、と息を吐き時計を見る。そろそろだ。

「はいはい、もうバスの時間ですよ。準備してくださいね」

太一先生の上に乗って切りかかる男の子達を1人ずつめりめりと剥がす。

「えー、もう?」
「あとちょっとで倒せたのにー」

剥がされた子達はぶーぶーと文句を言いながらもおもちゃを持って元あった場所へと返しに行く。
最後には疲れ果ててぜえぜえ息を吐く先生だけが倒れたまま残っていた。

「いっつも無茶しすぎですよ。子どもじゃ無いんだから」

声をかけ手を伸ばすと、無邪気な笑顔と目が合った。

「いやぁ、楽しくってつい」

「親御さんからクレームが来たらどうするんです?またみんなに叩かれますよ」

それは困っちゃうなぁ、と笑う声に悪びれる様子はない。

そんなんだから嫌われちゃうんですよ、と
もう少し反省したらどうですか、と
出したい言葉をぐっと飲み込む。
嫌われることを恐れないのは彼の良いところではあるが、見ているこっちの気持ちにもなってほしい。

「あっ」

ロッカーの扉を開けた彼は突然大きな声を出した。

「どうしました?」

「充電器壊れてたから買いに行かないとなの忘れてた」

こちらに電源のつかないスマホを向けて言った。

「えぇ、昼休みに買いに行ってくれば良かったのに」

仕方のない人だ。

「いやぁ、その時はナオキ達と隠れんぼしてて……」

いつだって子どもが最優先。

「じゃあ、帰りに一緒に探しましょう」

仕事が終わってこっちはヘトヘトなのに。

「ありがと雪ちゃん!」

彼はいつだってフル充電で元気に笑う。

「あの、ここでは先生って呼んでくれませんか」

そういう所が好きなんだろう

「あぁそうでした!さぁ、後片付けやっちゃいますか!リュウトのかっけーティッシュボックス見ました?多分どっかに中身捨てられてますよ」

「……」

3月13日

人の真似をする人間から醸し出される薄っぺらさは、本質を捉えきれていないからなのかもしれない。

人はいつも理想を追って生きる。
文章というのは、人からの影響を強く受けやすい。
特徴的な文章を書く頭のいい人はよく真似をされやすい。けれど、字面がいくら似ていても本人以外の文章の胡散臭さったらない。
そういえばちょうど今日テクネーとゲシュテルの話をTwitterで見かけた。同じようなことなのだろうか。

読みやすい文や特徴的な文には確かに書き手の個性が滲み出る。自分は、個性的な文に惹かれるのではなくてそこから滲み出る個性に惹かれる。だから形式だけ寄せても元の書き手の個性が損なわれ、見ているだけでこっぱずかしい気持ちになるのだ。

真似するだけの二番煎じはつまらない。

テクネーとゲシュテルの辺りに戻る。

自分には慕っている哲学科の先生がいる。
テクネーとゲシュテルの概念を知った時まず初めにその先生の顔を思い出した。
何か話題があればいつでもメールで話を聞いてくれると言ってもらっていたのだ。どうにか新しい哲学の概念を自分の周りの問題と結び付けられないかと考えてみたがなかなか難しかった。
自分は哲学を学ぶのは好きだが、詳しくはない。

食材の調達ついでにショッピングモール内の書店を物色した。
哲学用語等を探してみれば、ビビっと来るものがあるかもしれないと。

しかし気がつくとデザインの本を眺めていた。
まぁ、こんな感じだからいつまでも哲学に対して詳しくはなれないのだ。

自分はどうしても哲学にも二番煎じ的なイメージを持ってしまう。
人間である以上、同じ思考を辿るのは当然のこととして。にしても、哲学者の意見は既にこの世に確在するもので、後から自分がそれに似たものを思いつき話したとてそれは二番煎じとして扱われてしまう。
哲学用語は物事を説明する際には有効であれど、似通った別意見を潰してしまいかねないのではないか。
哲学用語の説明は難解な文章で書いてあることも多く、その真意は当人にしかわからない。
それを多くの人が何とか解釈しようとすれば幅が生まれるのも無理がなく、真意とはまた違った発想もそこに収縮されかねないのではないか。

だから哲学が良くないと言いたいわけではなく、取り扱いには注意すべきではないかという話である。

あぁ、この話を先生にすれば良いのか。
そんな気がしてきたぞ。